4/22 PM は,紫禁城/故宮です。
元・明・清の三代の王朝の皇居跡ですね。栄華と権力の強靭さと,そしてきっと隠される悲劇と,そんなものが一杯,かつ広大な敷地の中の壮大な建物群です。脱帽って感じですよね。
北門から入りました。南は天安門の方ですよね。

北には接して景山公園もあります。
紫禁城に入る前,振り向くと景山公園の楼が見えます。

勿論,ここも本当に多くの人たち。午後だったのか,summer palace で見かけた修学旅行生っぽい若者たちは少なかったようですが,まぁ,西洋人も多かったし,中国各地からの人たちも一杯でした。
なんか,地方から北京に出てきて頑張っている世代が,郷里の両親とかが北京に来て案内しているっていう感じの図もそこここで見られました。
ちなみに正面の後姿は福井大学の菅沼先生で,その陰には日下教授もいらっしゃいます。たまたま入場の時に出逢いました。 案内役の呉先生,感謝,感謝です。でも,呉先生も久方振りとの話でしたけど。
最初のうちは,北の方で溥儀の実際に暮らしていた建物とかもあって,少し殿や堂など,内廷の辺りなので,こじんまりとまでは行かないまでも,人の大きさのサイズにあったような庭園であったり建物の造作であったりしている印象を受けました。
なんだか,石灰質の石/岩などもいろいろあったりk,個々の堂の天井なども意匠が凝らされていたりと,なかなか,一つ一つをじっくり見始めるとキリがない印象でした。
内廷にも勿論,結構,大きな殿などもあります。坤寧宮があり,その後「交秦殿」(左写真)もあり,そして,乾清宮に続きます。中ほどの「正大光明」は清代の順治帝の御筆とのことです。この辺りは,建物も近く甍の波って感じですね。
そして,南へ南へと向かいますと,乾清門を出て,広い石畳の広場の先は,外朝になります。
乾清門と乾清宮です。 保和殿から北東の方向は内廷や乾隆花園の方角で,甍の波が悠久を誘います。
また,屋根飾りは皇帝しか使えない陽数の「九」の数の神獣が並んでいます。
北からでしたので,まず,保和殿からです。そして,中和殿・太和殿と見学していきました。保和殿の北側には石段があって雲龍階石というドラゴンとフェニックスのレリーフが彫ってあるところがありました。
まぁ,どれも,規模の大きさに度肝を抜かれます。ベルトリッチの「The Last Emperor」の場面が甦りました。
皇帝の長寿を示すような,あるいは祈るのか鶴亀の鼎もありますし,日時計もあります。

それで,一旦,太和殿の南側まで出てきたのですが,ここで,もう一度,戻って,今度は珍宝館の方へ,逆戻りしましょうってことになりました。
なんせ,広いので,ちょっと休憩。内廷と外朝の間の所に,スターバックスコーヒーがありまして,そこで,一休みしてます。
工事中か修復中か,「九龍壁」です。この壁面は270個の瑠璃片で出来ているそうです。
こちらの方は,比較的スケール的にも他の建物と比べると小振りで落ち着きました。寧寿宮・皇極殿や養心殿の様子です。
左は何か,石ですが,右は「金」関係ですね。天球儀や金印。まぁまぁ,本当に贅沢です。

すごっく長い象牙とかもありました。
西村カメラマンによる珍宝館の秘宝の数々(それでも,実は,国民党が台湾に大半を持っていったそうな)
下は音楽堂のようなもので,楽器とのことです。
清末代の光緒帝の愛妾珍妃は改革運動の支持したことで西太后の恨みを買い幽閉され,最後,井戸に飛び込むように命じられて無理やり投げ込まれたとのことです。まぁ,まぁ,西太后は凄い残虐な話ばかりですよね。
しかし,この辺りの乾隆花園の辺りは,本当にこじんまりとしていて,日本人の我々のこういうところを見るときの心のサイズにぴったりな感じで,それはそれでちょっと情けないやら,哀しいやらということでもありますが,でも,良い風情でした。
最後は長い通路を通って外朝の方へ。

そして,太和門を抜けると午門へ,そこで故宮から出てしまうってことです。
最後,振り向くと天安門が見えます。

向かいは,天安門広場です。
僕らは,そこから東へ向けて歩きました。歩いた先には,お土産ショッピングと北京ダックが待っていました。